湖南省は長い歴史を持っている。考古学によると、いまから8,000年以上前の旧石器時代には、原始人が湖南省の広大な河川辺りに生息し、その時期から既に安定した農耕生活を始めたという。古代には、湖南省は苗人、越人及び楚人と呼ばれる人々の生活の場所となっていた。古代の行政区画を遡ると、周時代には荆州の南部であり、春秋戦国時代には楚国の領土であった。秦が中国を統一した後、郡県制度が実施され、湖南地域に黔中郡と長沙郡が設置された。唐広徳二年(764年)、初の湖南視察使が設けられたため、湖南という呼称が中国の行政区画に使われ始めた。清朝になると、湖南省と広東省が分離され、別々に統治されるようになったため、それ以降湖南省が独立した省となった。雍正二年には、偏沅巡撫が湖南巡撫に変更されたため、この時期から、現在の湖南省の行政区画が独立した地方一級政権組織としてはじめて確立したのである。
記事出処:湖南省政府中国語ポータルサイト
歴史文化
湖南省は中南の内陸に位置し、北の方に洞庭湖があり、三つの面は山に囲まれている。自然に恵まれ、気候も温和で、土壌も肥沃で、産物も豊富で、唐時代から「芙蓉国」と呼ばれてきた。50万年前から、人類はここに生息している。包容開放の姿で、歴代の移民を融合し、今日の「湖南人」を形成した。
最初の野生稲の馴化と人工稲の栽培から、今の交雑水稲まで、湖南省は古くから稲作農業で知られている。歴代の湖南人は勤勉と知恵を以って、倉の充実を追求し、作業も協力し合い、快適でのんびりした田園生活を経営し、湖南省も「天下穀倉」と呼ばれる魚と米の里となっている。食事はご飯と魚、辛いものが好き、湖南人は生活を味わって、歴史の脈拍を追求しています。特に器物の作成が上手である。商週時代に神霊を祭る靑銅楽器や生活の質を現す楚漢時代の漆の家具や深く大衆に好まれる唐時代の長沙陶磁器や明清時代に耕読伝家を信奉する宗族の村など、全部湖南省の民俗、信仰と生活様式を反映している。
数千年に渡って、愛国と忧民の思想に影響され、中原文化に洗练され、書院教育の伝承と近代思潮の激動で、代々の誌士たちを育てた。まさにこれらの粘り強い、国家のために人の先たる湖南人が、勇敢と信仰を持って、死んで殘念なし、中華民族の飛躍のために自分の力を尽くしている。
(2024年6月24日更新)
記事出処:湖南省博物館